パルティータがやってくる

 音もなく、ではなく音を立ててやってきた。

 昨夜のこと、寝入り端にバッハのパルティータ1番が来たのだ。目をつぶると

プレリュードの冒頭が脳中に湧いてきて悩ませる。何度も。それもどこかの名手

の見事な演奏としてではなく己の覚束ないやつで攻めてくる。しかも執拗である。

一応音響としては両手の音が鳴っている。が、指の動きなども思い浮かべながら

メロディを追っかけてるうちに、そこはもう瞑目して寝る態勢でもありますから、

なかば朦朧としてくる。当然、途中でふいっと消えかかるのでハッと気づくと、

リプレイ。プレリュードの楽譜全21小節で2ページあるのに10小節目あたり、

1ページの終わりくらいまでを繰り返すという、とんだシジフォスの神話を体験

いたしました。脳内でおさらい会をしていて途中でつっかえ何度もやり直してる

といったシチュエーションだ。その内いつの間にか寝入っていたようだが悩まさ

れた記憶は残っている。

 もとはと言えば日中に練習した音の残像が頭に貼りついていたのだろうと思う。

変にまじめになって眠い頭で再生してたら袋小路に入り込んでループが止まらな

いといったところだったのだろう。それにしてもだ。夢だったのか現だったのか

は判然としない。ほんとは寝てたのか。音だけの夢というのもあるのか。いっそ

楽譜も出てきてくれればよかったのに。

 

 件のバッハのパルティータ(ここではクラヴィアのための)は30代かそこら

の頃練習した。舞曲の組曲だから変化に富んでいてスポーティで楽しい。クール

だけどリズムに躍動感がある。右手も左手もまず均等に働くので充実感があって

とてつもなく練習になる。なんてことで若いころにお付き合いした曲だったのが

老境にあるわが身で「またどうだろうか」と近頃始めたのである。楽譜も表紙が

取れて持ち主同様に老いているがそれもなんとなく相身互いで親しいものがある。

改めて1番からと取り掛かった。この曲は6曲組みで概ね忙しく活気あふれるの

だが4番目のサラバンドがオアシスの様で美しい。バッハの歌心横溢である。

 若い時分にはグレン・グールドのバッハがなんというか目指すべき姿で眼前に

そびえていたものだった。2枚組のレコードで聴く度に感嘆するのであったが、

今改めてレコーディングデータを見ると1959年である。こちらは9歳の田舎

のはだしの小学生。そのころバッハと言えば親父の持っていたランドフスカ演奏

チェンバロのレコードをちらっと見るくらい。あれは10インチ盤だったろう

か。ジャケットの絵をうっすらと覚えているだけだ。

 さて、そのグールドを実際にレコードで聴いたのはレコーディングより20年

以上後のこと。今はもう廃盤となってるみたいで同じものはアマゾンにも見当た

らない。手元にあるこのジャケットはだいぶ色もさめてしまった。

30歳かそこいらの写真であろうか若いグールドだ。このレコード出した後数年

でコンサート出演をやめ人前に出なくなる。

 

 さて、練習を再開するにあたって指標となる良き演奏をと探ってみたのだが、

このグールドのすごさは今でも変わらないのだが、今少し色合いの異なるものは

なかろうかとYoutubeを渉猟してみるとまあずいぶんあること。面白いのは演奏

時間がマチマチでテンポの取り方に色々あること。そういう意味ではグールドの

テンポ感はタッチの明晰と相まってまさにこれぞという感じでやはりすごいもの

だと思った。しかしこちらの感覚もアップデートを要求している。今少し探ろう

とウロウロし、あーピレシュはどうだと聴いてみた。シフにはちょっと肌合いの

合わなさを感じた後だったのでどこかホッとするものがあった。ピレシュはモー

ツァルトが評判いいがこのパルティータもなかなか。どこか自然な呼吸の抑揚が

感じられていいなと思ったのであった。レビューを見ると、学識豊かな方がリズ

ムがなっとらんなどと貶しておられたがわが耳の鈍い感度では一向にそのような

ことは感知できずいい気持ちであった。マリア・ジョアン・ピレシュGood Jobだ。

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