カラヤンの登場

 ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908~1989)、クラシックのマーケットを40年以上にわたって支配した。いまだにその威光は衰えていないかのようだ。帝王とも世界チャンピオンとも呼ばれる指揮者である。確かに彼のレパートリーの広大さは無類のものがあり、全階級制覇不世出と言ってもよいだろう。録音技術をはじめテクノロジーを駆使しての流麗なカラヤンサウンドでレコード売り上げの記録保持者である。しかしながら、その「売れる」ことのゆえに、クラシックの愛好者の中には、カラヤン大衆迎合のエセ芸術家と見なしその演奏を批判する向きもある。「きれいすぎる」、「何をやっても同じだ」、「精神性に欠ける」等々の言葉がよく聞かれたものだ。でも、そうした批評をする人々が崇めるトスカニーニであれフルトヴェングラーであれ、その演奏や指揮する姿に熱狂したのは当時の大衆であり、彼らを偶像視して崇拝すること自体がその人の大衆性の現れである、と言ったらものすごく怒る人がいるだろうな。ミーハーと言ってるのと同じだから。

 

 カラヤンは音楽を聴く層の規模と範囲を飛躍的に広げた。かつてベルリンウィーンザルツブルグバイロイトの各ホールはハレの場であり聖堂の別形態であった。そして参集する聴衆は、一種の「選ばれた大衆」として、そこに生じる儀式性、敢えて言えば秘儀に参加する者だけが得るエクスタシーを共有した。しかし飛躍的に向上したレコードの普及はその選別を無効にする。「複製技術によって芸術はアウラを失う」と言ったベンヤミンの洞察は正しかったが、その失われたものは、偶像化された指揮者あるいは演奏家の下に移植されたとも考えられる。芸術作品が備えていたアウラはそれを媒介する人間自体が帯びることになった。その典型がカラヤンではないか。カラヤンは単なるスーパースターではなく、その特質をテクノロジーの行く末を洞察し戦略的に制御するところに遺憾なく発揮した。ソニーなんて随分助けられたと思うよ。フィリップスも。

 当然、彼に好意を持たない同業者たちはいる。チェリビダッケは「カラヤンコカ・コーラ」、アーノンクールでさえ彼のことを「巧みなドライバーに過ぎない」と言った。しかし、一方で作曲家たちは絶賛する。リヒャルト・シュトラウスショスタコーヴィチシベリウス達は「自分の曲を思い通りに振ってくれる唯一の指揮者はカラヤンだ」とも言ったそうだ。嫉妬、羨望、賞賛、非難、それらが渦巻く中で40年以上チャンピオンの座を守るというのは鋼の精神力と言わざるを得ないだろう。マス・メディア的に広まったスピードマニア、アスリートというイメージとは裏腹に肉体的には若いころから数々の問題に苦しんでいたことを考えると驚異的なことである。

 

 カラヤンの行動はいつも即断即決である。キャリア上の汚点とされるナチス入党のいきさつにおいてもそうだが、彼の状況判断の素早さや臨機応変の行動力は他の指揮者とは次元を異にする。毀誉褒貶数々あるにせよ何事においても他に先行する人物であった。

 オーケストラの練習、プロ―べ(独)と言い習わされるが英語ではリハーサル。この間からいろいろな指揮者のプロ―べに興味を持って見ている。前に書いたようにプロ―べの様子に指揮者の本体が現れるように思えるからだ。カラヤンのプロ―べには逡巡というものがない。棒にも言葉にも一切のタメライがないのだ。下に貼るのはモーツアルト交響曲第40番の第1楽章なのだが、わずか十数分の練習の密度の濃さに驚く。無駄というものがない。この集中は、トスカニーニ専制でもなくフルトヴェングラーの霧の中に宝を探す風でもない。明快であるし端的である。さながら飛行機の操縦のようにきびきびと響きを作り上げていくスピード感は痛快だ。そしてプロ―べをぴしりと締めくくり、間髪を入れず「よし録音だ」と引っ張っていく。楽員の高揚感を見事に活かしているのだ。その様子は決して暴君ではない。カラヤンは他のヨーロッパの指揮者同様、地方の名もないオペラ劇場からキャリアを開始している。その仕事はスコアをピアノで弾きながら全ての歌を歌手たちに教えることも含まれる。楽譜を読めない歌手もいたそうだからその難儀は想像を絶する。プロンプターボックスにもぐりこんで進行を支えることもあった。叩き上げなのである。でも同じような職人時代を経てもこうならないイヤな奴も中には沢山いるけどね。ステージでは分からないが、大学教授風のあの人とかひどいらしいよ。待て待て、お盆だから死んだ人を悪く言うのは止めよう。少なくともカラヤンは意地悪でなさそうだ。見直されてもいいんじゃないですか?