パルティータ再び

 引き続きパルティータつながりでお時間を拝借。これ好きだなあというのを思い

出したので。同じくバッハの作品「無伴奏フルートのためのパルティータ イ短調

BWV1013」。フルート一本で実に深遠なる音楽を現出させる逸品。古今東西

数ある無伴奏フルート曲の中でもこれはもう別格というたたずまいを持っている。

バッハ自身が「わが生涯の最良の時代」と呼んだケーテンの宮廷楽長時代に書かれ

たとされている。30代の元気溌剌創作意欲満々のバッハである。このケーテン時

代には器楽曲の名作が大量に生れている。クラヴィア曲では、インヴェンションや

平均律の第1巻をはじめとする強力ラインアップだし、ほかにも無伴奏のヴァイオ

リンソナタやらチェロ組曲やらリュート曲など。その他の伴奏付き独奏曲合奏曲を

含めたら大変な数だ。それというのもケーテンの宮廷楽団の奏者のレベルが相当に

高く各楽器に名手が揃っていたという事情が背景にあるようだ。そのことは、ブラ

ンデンブルグ協奏曲の変化とアイディアに満ちた六曲の充実ぶりからもうかがわれ

る。

 

 さて、なんでまたこの曲を思い出したかというと、これを聴いたばかりにオレも

フルート吹きたいと思ったからである。よっぽど前のことなのでいつのことだった

かは記憶がおぼろなのだが、オーレル・ニコレのレコードを聴いていて「!!!」

となったのがこの曲。ほかのフルートソナタも入っていたがそちらはチェンバロ

伴奏付きで静々と落ち着いて聴いていられた。が、この無伴奏のトラックになって

鳴りだしたたった一本の笛の音。堂々かつ喨々、我イ短調を宣言す、ともいうべき

音型が確信に満ちて流れてきたのである。これはいい、絶対いい、最高の曲だぞ。

よし、オレもやる、フルートを吹かねば、と鼻息が荒くなる。単純である。若気の

至りである。何かいいもの見つけるとすぐ手を出したがる傾向があった。一応働い

ていたので分相応の楽器を手に入れてやり始めました。しかし、この無伴奏を目指

すべき頂点とするならば、実際の自分の有様は、ビギナー登山者が1合目2合目を

靴擦れの足を引きずってヨロヨロ彷徨っているようなものだから、イメージと実像

の乖離は甚だしい。難しいものですね楽器というのは。息は切れる指はもつれる立

ちっぱなしで腰は痛くなる、でなんとも悩ましいのである。当たり前だがなかなか

無伴奏にたどり着かない。まるで地球の反対側である。世界の名手が精進潔斎して

取り組む傑作だもの。無謀な話で独習者にとってはちょっとどころではなしに高嶺

の花もいいところ。基礎が大事だと教育テレビのレッスン見たり、音作りが出発点

モイーズのソノリテやったり、ペーターシュミッツの教本やったり生意気にバロ

ック音楽の装飾法なんて読んでみたり(吹けもしないのに)と、いろいろ研究の真

似事。しかし、これなどはいわゆる眼高手低のダークサイドに落ちる危険がある中

年初心者にありがちなこと。やはり地道な練習の日々こそが何より肝心だ。いつか

は・・・と思って、はいもう一度音作りから・・の日々。

 

 とは昔話。引っ越した今となっては居住環境が変わり、ピーヒャラ音を出すのは

はばかられる現状。ケースに入ったままのフルートには相当申し訳ないことになっ

ている。もはや幻のパルティータとなってしまったが、せめて名手の演奏を眠れる

フルートさんに聴かせてあげようと思い立って今日は書いたんだという訳でした。

ペーター・ルーカス・グラーフです。

 

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