スピードのバッハ

 まず、この楽譜を見てみよう。この間登場してもらった無伴奏パルティータの

フルート譜である。典型的なバッハのスタイルが表れていると思う。たった一本

の楽器のための音符の連なりが圧倒的な音の運動性を発揮して迫る。始まったら

もう音自体のエネルギーの指向にのっとって止むことなく突き進む。そんな性格

がよく浮かび上がってくる。音の動き自体がコントラストを作って一本の線なの

にいつの間にか和音を感じさせその対比を生み出すという、まさにバロック音楽

の根本的性格が実現されている。譜面の見た目からもそれがわかりそうだ。

 手稿譜を見るとこんな風。これはどうも無伴奏ヴァイオリン曲の6曲と一緒

になっていたようで最初は別の楽器のために作曲されたのかともいわれている。   

実はちょっとフルートらしくないのだともいわれる(ペーターシュミッツ)。

 一見して気づくのは、始まったら止まらないという音の流れだろう。休符が

ない。切れ目は音の動きが自ずから示すであろう、演奏者に心得があるならば

それは見出されるであろうというのがここに秘められたメッセージであろうか。

余談ながら最近の若い演奏者は循環呼吸法などというものを行うようでブレス

無しで吹き飛ばすのを高度な技とする認識もあるようだがそれには疑問がある。

どうもいささか異様である。吹く方が呼吸をしなければ聴く者はただ息苦しく

なるばかりである。優れた奏者は聴者との呼吸の同調を発生させる。音楽を共

に持つとはそういうことだろう。それを指定する現代曲ならいいだろうが楽譜

に切れ目が書いてないからと循環呼吸の軽業をもってバッハを演奏するという

のはちと違うのではなかろうかと思う。とりわけバロック時代の音楽は人間の

体の自然と密接に結びついたものでもあったのだから。例えばテンポの基準が

心臓の鼓動の速さであったように。

 

 さてそこでバッハの音楽のスピード感というものに注目したいのだが、この

曲を聴いてみよう。平均律クラヴィア曲集第1巻の21番。グレン・グールド

である。これは格別。とりわけプレリュードの疾走感は目を見張るものがある。

わずか20小節で1分10秒ほどで駆け抜けるのだが、その後半に入ってから

の音型の変化の処理が他と相当に違っている。聴く者が、体ごと揺さぶられる

ような心地にさせられる。そしてそのあとのフーガが一切の曖昧さなく3声の

構造を聴かせる。これは脱帽です。バッハの音楽の持つスピード感というもの

を得心させる演奏だ。

 もうひとつスピード・バッハを。これは快活無類のバディネリ管弦楽組曲

第2番の終曲でおなじみだし単独で演奏されたりもする。ランパルの煌めきの

ある音で聴くとスピード感に幸福感が加味されていいですね。

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