うかうかと8週間

 ガーシュインのララバイをエントリーしたら気持ちよくなって巣穴にもぐりこみ、以来なんと8週間もグータラしてしまった。ほぼ2カ月。気がつけば本格の春である。そろそろしゃきっとしなさいよ、と声が聞こえてきそうだ。春の光がそこにあるよ出てこい出てこいと呼んでいる。

 春は再生のとき、縮んだ体を伸ばし血を巡らそう。ここはひとつパッチリと目を覚ましてぐぐっと景気を付けなくてはいけない。快調なリズムに乗って、喜ばしいメロディを一丁口ずさんでみることにしたいぞ。何にするか。

 ちょうどよく、バッハに「目覚めよと呼ぶ声あり」(BWV140)と題するカンタータがある。実に名曲ではあるがちょっと長いな。無類の心地よさに揺られてまた眠ってしまっては目的に反する。それはまずいので、この曲から産まれたコラール・プレリュード(BWV645)の方にしよう。共に用いられているのがフィリップ・ニコライの讃美歌のメロディ(1599?)で「喜びの錦」から取られたものだという。メンデルスゾーンもこのコラールを編曲しているとなれば気分の良さは確かだ。

 念を入れて3種類の演奏を並べてみる。これだけ聴けばなんとなく体に沁み込んでくれそうだ。まずオーケストラ版で。時代考証第一の厳格派は眉を顰めるかもしれないが、バッハの音楽の持つ雄渾かつ持続的なエネルギーを感じることができると思ってください。BBCプロムス2010の模様である。どうやら客席にカゼ引きさんがいるみたいだ。バッハで治ればいいが。

 さてその次は、カナダ生まれのヤン・リシエツキのピアノによる演奏。この曲はブゾーニの編曲だけあって、たいていはもっと遅い演奏となっている。小生にはどうも重苦しく感じる。厚化粧してオーケストラに化けようとするあたりがが物々しいのである。いったいにブゾーニの編曲はそんな感じがするのだが、なんとなくピアノの運動性や音色の澄明さというものが生きてないような気がするのだ。なによりこの曲の持つスイング感が失われる。その点、この若者(1995年生まれだって)の演奏はけっこうサクサク進んで違和感がない。コクが無いと言えばそうかもしれないが、この演奏は16歳ですからね。大物ぶらなくてむしろワタクシは好感。

 そしておしまいはジャック・ルーシェ。バッハの音楽が持つベース・ラインの魅力とスイング感を知らしめた功績大である。この度は、バッハゆかりのライプツィッヒで2000年に開かれたコンサートでのプレイであります。ボビー・マクファーリンが加わってとってもハッピーな「目覚めよと呼ぶ声あり」となった。雨ふってるのにね。