我こそはアルトゥーロ・トスカニーニ

 オーケストラの指揮者はなんだか別格の「超芸術家」のように思われている。確かに(よくは分からないが)すごいことをしてるように見える。燕尾服でかっこいいし、大勢の楽団員を思うがままに扱い長い長い曲を汗だくになって聴かせてくれる。身振りを見てるとまるで自分の中からその曲が生まれて来てるようだし、あの譜面台に乗ってる分厚い総譜、あそこに書いてある全部の音を覚えているのだという。そういえば時々ページをまとめてめくって見なくても分かっているとさりげなくアピールしてる。そして、ちょっとでも音が違ったりすると眉をクリと動かしてみせたり。やっぱりこれは余程の才能がないとできるこっちゃないだろうなあ、と感心する。

 でも、こういう風な形で「指揮者」が大きな存在になったのは音楽の歴史を見てもそんなに古いことではない。自分では一つも音も出さず、指揮棒でもって演奏する。大きな場合には100人にもなろうかというオーケストラを自分の楽器として意のままに操る。こうした、指揮台に君臨する将軍とも言える存在の始まりは19世紀に入ってから、それも中頃からであったようだ。

 

 古くは合奏の音頭取りは作曲家が兼ねていたし、指揮だけをする音楽家はむしろランクが下の扱いで、プログラムでも一番下っ端の演奏者の中に名前が載るくらいのものだったらしい。なにしろ足でどかどかと拍子を取るだけの役目だったりしたというから仕方ない。それが次第に音楽が感情表現をするものになり、手で表情やテンポを表す技法が必要になってきたのだが、バロック時代になって通奏低音が音楽をリードするようになると指揮の役目はチェンバロの前に座って和音をジャランと鳴らすことに移っていった。これが楽長である。

 しかしその当時の音楽の現場の実情は優雅さとは程遠い相当に騒々しいものであったようだ。出典不明の記録であるが、1756年とあるからモーツアルトの生まれた頃の光景だ。あるイタリア・オペラの上演に際して「拍子をとるものがいない。そこで首席ヴァイオリン奏者がそれを務めるのだが、そのやり方が不快きわまりない。彼は足で拍子をとり、魔に取り憑かれたように足踏みを続けながらヴァイオリンを力いっぱい弾きまくりオーケストラを引っ張っていこうとする。ホールの端にいても足踏みの音が聴こえた。チェンバリストはというと、それに対抗して拍子を強調するために鍵盤をこれまた力いっぱい叩きつける。だから指を痛めないように、牛革の手袋をはめなければならなかった。楽長は自分のオペラを指揮するとき、拍子を拳骨で叩きだす特権を認められていた」のだという。ちょっとしたバトルである。

 この時代、音楽家といっても必ずしも紳士ならず。どちらかと言えば不逞の輩が多かった。若きバッハは聖歌隊の生徒に厳しい指導を施したが、それを恨んだ年上の生徒が道でステッキで殴りかかり、バッハは剣を抜いて応戦したという。熱血である。当時のオーケストラといえば給料をもらえばすぐに飲んだくれるバクチでオケラになる・・・といった錚々たる者どもが楽器を演奏しているのだから余程の馬力がないと楽長はつとまりませぬ。

 

 横道にそれました。一気に飛び帰ると、指揮者の在り方の変化は、自作自演が当然の時代から、過去の名作をレパートリーとして演奏する時代への変遷でもあった。これが「長い19世紀」といわれる時代の出来事であり、現在のクラシック界の状況がほぼ作られたとのだとされている。ピアノやヴァイオリンのヴィルトゥオーゾが活躍する一方で、曲も作らず自らは音を出さずという不思議な音楽家が成立して行く。ちょうど名画が美術館に展示されるように、過去の名曲がレパートリーとなってコンサートホールで繰り返し演奏される。同じ曲が指揮者によって異なって表現される、その違いを芸術の深浅として受け取る聴衆もまた成立して行く。コンサートは、オーケストラという巨大な楽器を奏でる巨匠の託宣を仰ぎ喝采する聖堂のようになるのだ。これが20世紀に入ってますます神格化されていく。否応なしに政治に利用されていった所以でもある。世界的な規模で有名指揮者がカリスマとして崇められる時代、その代表格がトスカニーニでありフルトヴェングラーであった。同時代、他にも大指揮者はいるがどうしてもこの二人ほどの普遍性には欠けると言える。それからやや新しくなってカラヤンバーンスタインエーリッヒ・クライバー等の登場となるが、その後の世代になると普遍性というより普通性が強まるようで面白みがない。

 そこで、楽譜に忠実、完全主義、妥協なしの指揮者トスカニーニのリハーサルを聴いてみたい。手兵NBC交響楽団を相手に歌劇アイーダ凱旋行進曲の練習をつけているところ。いきなり叱咤が始まる。まるで海兵隊の鬼軍曹である。おっかねーのだ。ダメだしの「ノーノーノー!」。トスカノーノと仇名がついたのも分かる。収録の年がちょっと不明だがNBC交響楽団のラジオ放送開始は1937年からだから、いずれ70歳を超えている。

 

 

  そして、こちらが1954年4月4日ラストコンサート。87歳でのトスカニーニ最後の録音となる。曲はワグナーのタンホイザー序曲なのだが録音がプツリと途切れているのには訳がある。全ての曲を暗譜で指揮してきた彼の記憶が「落ちた」のである。トスカニーニ、オーケストラ、聴衆、そのときホールにいた全てが沈黙した。指揮棒を下し、トスカニーニの68年にわたる指揮生活は終わった。そして3年後、1957年1月に90歳の長寿を全うした。