アンダンテでいきましょう

 "Andante" というとイタリア語の音楽用語の一つで速度を表すことになっている。音楽の時間に、「歩く速さ」で演奏しなさいという意味です、と教わるので「ほう歩く速さね、分かりやした先生」となる。でも、歩く速さってどれくらいなん?と尋ねても多分「人それぞれだからなあ・・・」と誰しも思うだろう。皆どこか困ったような顔で「・・まあ、ほら、普通に歩く速さってあるだろ、あれだよな」ということになる。でも、その「普通に」が難しい。決まってないのだから。国の違いどころか、日本人だからといって同じ速さとはいかない。秋田の駅前と渋谷の雑踏では全然違う。同じ東京だって渋谷と銀座、浅草と柴又だって違うだろう。地域差男女差年齢差、その時の気分、散歩と徘徊じゃ大違い。その他諸々で、到底一概に言えるものではない。結局、誰でも自分の体の感覚で歩いてるのだから。共通なのは、前方に進行せよとの意識で動いていることと、速くもなく遅くもなくということだろうか。

 この言葉、イタリア語のもとの意味は、動詞のandareから来ていて「前に進む」とか「移動する」という感覚を表しているそうだ。日常の普通のイタリア語で急がず遅れず前に進もうといった意味で使われる言葉。そこから派生して、「アンダンテな人」というと穏やかでバランスの取れた人物ということになるらしい。平凡・普通という意味も含めて。

 音楽演奏での速度記号だとは言っても、結果的に速さの目安を人間の行動に照らして表しているのであって、それ自体が厳密に「はい、このテンポでなくてはならぬのです」と指定している訳ではない。あのメトロノームでさえ、♩の数で言うと1分間に60から84の間くらいで、と幅広く示して意外なことにあまり機械的ではない。だから、演奏に当たっては、本当は皆けっこう迷っているのが実際のところだろう。

 合奏するとなると、「Andanteねえ、んー、これくらいですかね」「ま、そんなところでしょう」「んじゃ、ぼちぼちといきますか」などと言い交わしてから、歩行者用信号がgoになって歩き出すのであります。

 

 チャイコフスキーのその名も「アンダンテカンタービレ」、いい曲ですよ。