拙者Ludwig van Beethovenでござる

 ベートーヴェンというとなぜか音楽界に聳える岩山のようなイメージになる。音楽室の壁に連なる肖像画の中でも一際気むずかしそうなあのライオン顔のせいだろうか。力を抜いて、"Hi, L.V !!" とでも呼べばなんとなくウエストコーストのミュージシャン風にも聞こえるが、Ludwig van Beethovenとなるといかにもごつい名前でドラゴンに立ち向かう戦士のようだ。サムライが名乗りを上げるようでもある。ところで、このエラそうな真ん中の「van」はゴッホの名前にも付いているしココアの缶でよく見るが、この家系に代々ついているものだ。....から(出身地を示す)という意味がこのvanらしい。それにBeethovenというのも地名由来で、数段階にわたって呼び方は変化しているものの、要するにBeethovenなる地域(ネーデルランドのどこかだそうだ)出身であるとの名乗り。でも、このvanはドイツの貴族の称号vonと混同されやすくて、やんごとなき出自と間違われることもあった。そんなときでも本人は特に訂正しなかったというから意外にいい気分だったのかも。

 とにかくヨーロッパの国の成り立ち、人種、言語は入り組んでいて分かりにくい。我らがベートーヴェンも先祖のどこかでスペイン人の血が入っているのではと言われている。少年時代には「スペイン人」と仇名され、また時には東洋系とも見られハイドンからは「蒙古大王」と呼ばれたそうだ。我々は単純にドイツ人ベートーヴェンと思ってしまうが違うんですね。山根銀二氏らによると、「・・・人種的に見るとベートーヴェンは、16分の1がワロン人、16分の3がゲルマン系フランドル人、16分の12がドイツ人ということになる・・・」のだそうだ。それにスペインと東洋がまぶされるとなると更に混迷の度は増すばかりである。もはや考えてもしょうがない。

 さて、ベートーヴェン交響曲となるとダダダダーンの一撃が名高くて武骨なイメージだが、おそらくそれは形式の堅牢さやリズムの操作の徹底ぶりがもたらすものだろう。まあ確かにウットリするような流麗なメロディを書いた人とは言えないけれど、それは持ち味の違いというもの。人それぞれなのである。9つしかない交響曲のうち、第1番、第2番は端正かつ溌剌でよい。明朗さに敬礼したくなる。ところが、簡単な曲だとばかりに新結成のアマチュア・オーケストラが、「そろそろ弓も揃えられるようになったし、ここいらでワシらもベートーヴェンでもやって演奏会を敢行しちゃいますか」と取り上げるような扱いを受けがち。とんでもないことでございます。ナマナカナ曲ではない。第2番はフルトヴェングラーが苦手とし、クライバー(父)が「この曲を200回振ると難しさが分かる」と言ったという曲。近衛秀麿親方がベルリンフィルを指揮する時にそう言われたらしい。ここはひとつ先入感を取っ払って聴いてみよう。第2番を、クリスティアンティーレマンの指揮するウィーン・フィルの演奏で。およそ35分、全楽章入ってるのでちょっと長いですね。でも、たまにはひたってみるのもよろしいかと思います。