これぞ季節の味

 山菜と竹の子(根曲がり筍)採りに凝っている友人がいて、この季節になると毎週末の山通いである。しかしながら今年の山は彼の師匠である名人も首を傾げるほどの有様。「ない」のだという。これも長々と続いた寒さのせいであろうかと悲嘆にくれていたのであった。だが、有難いことに努力はいつか報われる。それが今日であった。

 次こそはと一週間を待ち暮らし、今朝は3時半の早発ち。決戦場と定めたのは遥か彼方の十和田の山であった。先週空振りであった五城目を尻目に、国道285号線を駆け抜け、一路目指すは青森県境にほど近い****(仁義上秘す)。逸り立つ気持ちを更にかき立てるのは、車中に鳴り響く「ワルキューレの騎行」であったか。

 それからほぼ12時間の後。午後3時半過ぎに携帯に着信があった。喜びの一報が入ったのである。と言っても、机に置いたまま離れていたので気がつかず拍子抜けさせてしまったのはスマヌことであった。数分後に戻って掛けなおすと、「あった、採った、夕方に届ける」「なに、ほんの少しだが」と弾む声。ふんがーと鼻息の荒さと共に得意ぶりが伝わってくる。いつもなら帰り道の十和田温泉立ち寄りが習わしなのだが、今日は一刻も早く帰り着くべしと秋田に直帰である、と勢いがまだ続いていた。

 かくて、待ちに待った根曲がり筍の一年ぶりの到来である。脇役はウド。これも天然の採れたてである。「これ、まずちょびっとだども。ひとかたけ分だ」(注:一回の食事分という意味で、一定の年齢以上の秋田人、特に酒飲みが常用する。発音はhitokadageに近い)と、車から降りて差し出す顔が日に灼けて真っ黒である。元来の黒さに毎週の山歩きが加わって底光りがしている。まして今日は勝利感が照りを添えて見事なほどである。うやうやしく頂戴し、早速イタダクこととする。根曲がり筍は焼いて皮を剝いて食べるのが一番。こんな風に。

 

 

 右上は独活。左がディップする味噌マヨ。独活は生味噌もよし。

 そして、こちらは待機中の方々。

 

 

 皮を剝いてさあいただきましょうと、まずはこの爽やかな色を愛でて、これこれ、これが初夏の味ですよと敬意を表してから、かりりといくのである。

 

 

 天然の独活もほろ苦さが心地よく口中に広がり、これはやはり一杯いかなくてはとなる。T雄くんアリガトウ。また採ってきてね。・・・・・・健康に気をつけてもらわねば・・・・・