「Over the Rainbow」

 映画『オズの魔法使』(1939年)でドロシー役のジュディ・ガーランドが歌う有名なナンバーの登場である。唐突のようだが、実はガーシュインつながりであった。アイラの方で縁がある。

 この歌をめぐっては何度かピンチがあったという。歌ができてからで言えば、採用か没か、ジュディが歌うかどうか、そんなことでもめた。今や不朽の名曲として歌い継がれているのに危ないところであった。もめた理由は、ヒロインのドロシーはカンサスの田舎娘で14歳、相応しくない曲だとの撮影所幹部の見立てであった。大人びた歌で似合わないということである。編集段階でカットされそうになったが、プロデューサーのアーサー・フリードがそれに猛反対。おかげで世に出ることができた曲なのだという。

 さらに遡れば、歌の成立にも一波乱があったのである。メロディは先にできていた。作曲はハロルド・アーレン。彼が『オズの魔法使』の音楽を依頼されその構想を練っていたある日、夫人と観劇に出かける途中でメロディと共に「Somewhere over the Rainbow」というフレーズが浮かんできたのだ。本人大満足の出来である。これにぐっとくる歌詞をお願い、と詞担当のハーバーグに提示したのだが、ハーバーグはこのメロディではカンサスの田舎の娘にはちょっとな・・・と乗り気でない。そこで、アーレンは既に大物となっていたアイラガーシュインに曲を見せ、後押しを頼んだ。アイラは、「おお、これはいい曲だからぜひ詞を付けるべきだ」とバックアップ。そのおかげで生まれた「Over the Rainbow」であった。このとき既に弟ジョージは亡くなっている(1937.7.9没。もうすぐ命日ではないか!)。失意を乗り越え、アイラはジョージ亡き後も他の作曲家たちと組んで数多くの名曲を世に送り出したが、こうして間接的にも名曲の誕生に力を貸している。

 なお、ジュディ・ガーランドはこの時17歳、元々はシャーリー・テンプルがドロシー役のはずだったのが、いろいろあって転がり込んだ配役であった。結果的にこの映画、この歌が彼女の生涯を決定的にしたことになる。

 

 明日は月曜日で仕事に行く日。だからといってブルーにならず「行けば何かいいことあるべさ」と前向きになるためにこの曲を口ずさんでみよう。なんと、お隣の山形県のサッカーチーム「モンテディオ山形」の歌になっているそうで、選手入場のときに合唱するというのだもの。元気を出しましょう。

 

 画面が粗いけどこれがオリジナル。残してくれたプロデューサー、アーサー・フリードに感謝しよう。

 

 

  そして、これは大好きなレイ・チャールズの歌う、大人の味いっぱいの「Over the Rainbow」であります。