音のこともう少し

 前のエントリーで絶対音感のことを少し書いたが、その際に貼り付けた動画の中で、様々な音が「ドレミ・・・」で聴こえてしまうと描かれていた。このことは絶対音感の神話化と共に誤解されて広まっていることでもあるので用心が必要だ。足音でもドアを閉める音でも机を叩く音でも何でも音高を言い当てることができるなどという話が通用していたりするがこれは無理というもの。こうした音はとても複雑な周波数成分で構成されていて音の高さを特定することができないからだ。これは「噪音 unpitched sound 」と分類される。それに対し、高さを持った音は「楽音 musical tone 」。どちらも音楽に用いられる音ではあるが。

 という訳で、なんでもかんでもが「ドレミ・・・」で聴こえるということは無いのだが、身の回りでピッチを持つ音に出会うことは確かにある。受話器を取り上げると聴こえるツーッは「G」の音が伸びているのだし、救急車は「B-G」の繰り返し、しかも遠ざかるとドップラー効果で「Bb-Gb」に下がって行く芸の細かさ。また、踏切のカンカンは「F&F#」の同時発音で警告の意味を感じさせる。携帯のバイブレータはこれもまた「G」でブーブー言って注意をひきつける。

 でも、こうした音をいちいち「ドレミ・・・」で聴いていたらそれはもう脳が疲れて身が持たない。実際はフィルターにかけているはずである。聴いてしまうと本も読めない。会話も上の空になる。聴こえてくるのが「ドレミ・・・」という言葉だからである。

 この「ドレミ・・・」で聴こえることを「ラべリング」と言ったりもする。自分が基準として持っているA音に基づくピッチの判定で高さに対応した名前を言うからだ。大抵はピアノの音によって習得したものとされている。だから、自分の親しんだピアノの調律が大きく影響する。ある音大で学食でランチ中、コップの触れあう音の高さは?と話題になった。居合わせた連中は、それぞれ自分には絶対音感があると思っているから自信たっぷりに判定。ところが「ソ#だな」「ラだってば」「ラbだど」とバラバラで一同首を傾げた。おそらく基準のA音のチューニングが違うのであろうということになった。一般にピアノの調律はA=440Hzか442Hz で行われているだろう。古風な家だともっと低いこともあり得る。では、この2Hzの違いというのはどんなものなのだろうか。人間はこの一秒間に2回という振動数の違いを感じるのだろうか。聴いてみましょう。

 

 

  また、絶対音感の精度に関するこんな調査がある。12平均律でA=440Hz(いわゆる「ラ」)を基準として20cent刻みで高低両方向へそれぞれ5段階、最大±100cent(半音)までの11音を被験者にて聴かせて音名を判定させた。つまり「ラ」の音からステップで音を下に動かし「ラ」と聴こえたか「ソ#」と聴こえたか、上に動かし「ラ」と聴こえたか「ラ#」と聴こえたか調べたということ。半音の間の音をどう判定したかとうことですね。被験者は絶対音感があると自覚する学生5名。人数が少ないから「研究」とまでは言えないかもしれないがそれなりの傾向は分かるだろう。(cent は民族音楽の研究上イギリスのエリスにより提唱された音程の表示法。半音は100cent。したがってオクターブは1200centとなる。)

 結果は次のグラフ。両端が全員正解であるのは当然としても、中間の音を含めばらつきがあることは窺える。

 

 ところで、この基準となるA音で440Hzという周波数がISOで1953年に定められてようやく世界基準として数字上は定着したのだが、ここに至るまでには驚くほどの変遷があった。そして、現在でも実際は様々な「基準周波数」が用いられている。ちっとも基準になっていないのが実情だ。ピッチが高いと明るく派手に聴こえるからというのもあるようだ。でも落ち着きがない。聴く人間の喉もそれに合わせて緊張するから多分疲れるよ。

 まずデータとしてその変遷を上げてみると以下の通り。

 

15~16世紀 ルネサンス時代・・・・ベネチアン・ピッチ・・・・・・466Hz  

17~18世紀 バロック時代・・・・・・バロック・ピッチ・・・・・・・・415Hz

       ※現代の440Hzより半音低い

18世紀  バロック時代後期・・・・・・ベルサイユ・ピッチ・・・・・392Hz

       ※現代の440Hzより全音低い

18世紀  ヘンデルの場合・・・・・・・ヘンデル所有の音叉・・・422.5Hz

18世紀  モーツアルトの場合・・・・モーツアルトの音叉・・・・421.5Hz

18~19世紀 古典派時代・・・・・・・クラシカル・ピッチ・・・・・・430Hz

       ※現代の440HzではAとAbの中間 専用の音叉必要

1859年 フランス政府による・・・・・政府制定ピッチ・・・・・・・・435Hz

19世紀  ヴェルディによる・・・・・・・ヴェルディ・ピッチ・・・・・・432Hz

1884年 イタリア政府による・・・・・・政府制定ピッチ・・・・・・・432Hz

1925年 米国の政府・団体・・・・・・・政府・団体ピッチ・・・・・・440Hz

1939年 国際標準音会議・・・・・・・・ロンドン国際会議・・・・・440Hz

      ※この会議はナチスの宣伝相ゲッベルスによる。

        独・英・米主体の会議であり、フランスの音楽関係

        者は招かれていない。ポーランド侵攻の3ヶ月前の

                     どさくさであった。

       

1953年 ISOによる・・・・・・・・・・・・・・ISO国際基準値・・・・・・440Hz

20世紀  カラヤンによる・・・・・・・・・・カラヤン・チューニング・・446Hz

現在の状況   

      日本     NHK ・・・・・・・・・442HZ

      アメリカ   メトロポリタン・・・・440Hz

              ピッツバーグ・・・・442Hz

              ニューヨーク   ・・・441.5Hz

              カーネギーホールのスタインウエイ

                     ・・・・・442Hz

      ドイツ     ベルリン  ・・・・・445~446Hz

    オーストリア   ウィーン   ・・・・・443~444Hz

 

かくのごとき状況で、てんでんばらばらもいいところ。これだけ違うのだから、絶対音感と言っても「局地的」なものでしかないことになるし、チューニングのピッチが異なる演奏は違う曲に聴こえることにもなりかねない。合奏にならないことも起こる。よく聞かれる言葉が「うー気持ち悪い」である。ピッチが違って気持ち悪いということだ。いったいこの絶対音感というものをどう捉えたらよいのか。はなはだ厄介な代物である。ただ、音楽の学習をする上で絶対音感への過度の依存は避けた方がいい。音楽は、音と音の関係性が作り出す意味の認知で成立する。ラべリングの能力と音楽認知の総合的な能力は違うのだから。念のため書き添えるが、シューマンワーグナー絶対音感はなかった。

 

 あまりまじめに書いてくたびれた。いい音楽を聴こう。シューベルト即興曲1827年の作である。ケンプの演奏、1965年の録音。