クライバーの場合は

 エーリッヒではなく息子の方、カルロス・クライバーの1970年のリハーサルと本番の記録が残っている。これはもはや「指導」と「発表」のドキュメンタリーであります。曲目はシュトラウスの「こうもり序曲」。クライバーにとっては自分の曲のようなもので、楽員は何を言われても「はい先生」と拝聴するしかない雰囲気が漂う。ここで先生に懇切丁寧に指導されて神妙にしているのはシュトゥットガルト放送交響楽団のオジサンたちだ。

 オーケストラのリハーサルが指揮者のタイプを浮き彫りにするのをいくつか見てきたのだが、クライバーのこの場合は「指揮者の根競べ」Vs.「楽員さんの辛抱」の感じがしてならない。いかにもカタそうな連中を相手に、この曲の艶やかな味を出させるべく奮闘する40歳の指揮者という図に見えてならない。無骨な面々を前にしてクライバーの思いやいかに。一方、楽員の方はと言えば、ちょっと進んでは止められ、クライバー独特の言葉でイメージを注入される。ふむふむそうですか、でもなんだかなあ・・・の表情をしつつ、こんな感じですかいのう、とやってみる。ダーメダメ違うってばよ!の繰り返しが延々と続く。後半になって楽員の笑いも起きたりしてるがどこか力の脱けた感じ。暇そうなパートの様子をカメラが時折とらえるが、場の雰囲気が窺われる。珍しいのがサウスポーのヴィオラさん。この人の表情は終始変わらず。けっこうハードな映画に使えそうな面構えである。弓を左手で漕いで隣とぶつからないか心配です。

 

 練習風景が見られるのはおよそ35分間。これでもまだ終わってないのだから実際はどれほど続いたことか。最後の音を弾き終えたときには、きっとお互いの健闘を讃えあったことでありましょう。

 続いて本番の演奏。うーん、クライバーの棒がリハーサルと同じでない感じがする。こうなるとどちらも流石なものである。結局、本番は双方の「おれはこうやるもんね」の丁々発止が生む高揚したエネルギーが作り出す音楽だ。クライバーの指揮が特別のもので、特に本番が聴衆を熱狂させたのが分かるような気がする。コンサートのキャンセルが常習で周りを悩ませ、この人が指揮するというだけで奇蹟を見るような思いで聴衆がはせ参じた。そして、振る人弾く人聴く人のハラハラドキドキが合わさって希有の体験を共にする場が生まれる。指揮者界の究極のチャンピオンである。

 ともかくクライバーのコンサート、無事に全曲を終えて一番ほっとするのはプロモーターだろう。途中でだって帰っちゃうかもしれないのだから。カラヤンは首を振りつつ「クライバーは冷蔵庫が空にならないとステージに出てこないのだよ、諸君」と言った。チャンピオンになるにはハングリー精神が必要なのだった。