マティスの「JAZZ」

 

 

 これはアンリ・マティス(1869~1954)の切り絵作品。「イカロス」と題されている。主題としては墜落するイカロスである。様々な画家が描いているギリシア神話に基づく題材であるが、マティスの場合、悲劇的というよりは、その色と形の主張がまず目に飛び込む。題を知らずとも、また作者名を伏せて見せられても、形がマティスだと推測させるし、何かが起きているのだと感じさせる。青と黄と黒と、そして胸に赤、それだけである。明快にして深いという、芸の頂点を見る。この絵を前にして上手いとか下手とか言おうなんて思いもしないだろう。「はて、これは」とただ見入るのではないか。

 この作品は、1947年に発行された挿絵本『ジャズ』に用いられた20点の中にある。版画(ステンシル)で作られた本でマティス自身の文章が添えられている。彼自身の手書きの文字をそのまま使っているが、この文字が実に美しい線である。なんて書いてるのか。フランス語読めるといいだろうなと向学心を持つ瞬間である。長持ちはしないけど。

 

 

 一方、イカロスが墜ちる前の飛翔の様子もちゃんと作ってくれている。白い翼が鮮やかでハングライダーのよう。

 

 

 で、これを回転させると墜落するイカロスと形が同じなのが面白い。主題を暗示させる意図なのだろうか。でも考えすぎですかね。

 

 

 1943年、豪華美術雑誌を出版していたテリアードから色刷り版画による挿絵本の製作依頼があったのだが、73歳のマティスは病気のため絵筆を持つのが難しくなっていた。助手にグワッシュを塗った色紙を作らせ、それをハサミで切り抜いて作品にする作業を4年近くかけてゆっくりと進めたのだそうだ。

 

 

 マティスといえば後期印象派に続くフォーヴィズム(野獣派)や「色彩の画家」として美術史では論じられるのだが、本人はどうもそれを嫌っていたらしくそうした「運動」からはじきに離れて行った。ただ、色と形の関係を解き放つことには生涯を通じて追求を止めなかった。また、病床にあるときも一日100枚のクロッキーを欠かさなかったというから「描くことすなわち自分」を生きた人なのだと思う。

 絵筆を持てなくなったマティスはむしろ自分の画の本質に近づいた。切り絵という手法に見出したのは、色が形に従属するのではなく、色そのものが形を得ていくというアドリブのような自由さだったのだろうか。マティス自身は「色を切っていく」「彫刻を作ることに似ている」と、この『ジャズ』の中で書いている。音楽もよく聴いたマティスがジャズの即興性や自由さ、リズムの軽やかさに惹かれて付けたタイトルのようである。

 

 それにしても、いい「青」ではないですか。