ノクターンを聴く

 秋の夜は、とくれば一人静かに酒を酌むというのが常道。そうでなければ音楽をしみじみと味わいたい。幸いにそれ応えてくれる音楽がある。夜の想いの曲と訳されたノクターンの数々だ。ノクターン、ノクチュルヌ、ノットゥルノ、夜想曲と言い方は様々だが、その名前を聞くだけで静けさや安らぎを連想させる。

 元来、カトリックの夜の祈りを指す言葉でもあったというが、確かにどこか人を祈るような境地に誘う音楽だとも言える。盃をくいっとやってやがていい塩梅の機嫌になっていくのとは違う時間の味わい方だろう。曲の流れのままにぼうっとしている内に、心の重心が低くなり安定していくのが感じられる。気持ちが沈むというのではなしに、船が外海から港に入り錨を降ろすようなものだ。

 沢山の作曲家がノクターンを書いている。やっぱりメロディが書きたいのだろう。言葉はないが歌なのである。作曲家が心を語るのはメロディなのだ。19世紀になって登場したこのジャンルは、成り立ちにサロンミュージック的な性格を色濃く持っているので深刻癖のあるクラシック信奉者や批評家には軽く扱われる。なぜかこうした人々は美しいメロディを斜に構えて受け取る。心を動かされるのは沽券に関わるとでもいいだげで無駄な抵抗をする。気の毒なことである。でもそうした批評桟敷の住人を他所に、優れた作曲家たちはせっせと作ってくれた。

 アイルランド生まれのジョン・フィールド1810年代にピアノ曲で始めたというこのジャンルが、ショパンメンデルスゾーン、リストその他にと受け継がれていく。それぞれの固有のスタイルを持って彼らのノクターンは書かれている。(このジャンルとスタイルの関係はけっこう面白い材料なのでこの先考えたいことの一つだ。)

 室内楽もある。例えばボロディン弦楽四重奏第2番の第3楽章などその代表格だ。そして、ピアノ曲をオーケストラ用にアレンジしてスケールアップしたものもある。こうなると想いの空間は一段と広がる。聴く者の想像は夜の空を飛ぶ己の姿を描き出す。そんな曲がチャイコフスキーノクターン。独奏楽器をピアノからチェロに替え、管弦楽を伴奏としてロシア風味をたっぷりと聴かせている。原曲はピアノ独奏の「6つの小品 作品19」の第4曲である。ジャケット写真がちょっと手配写真風である。左の人、山崎努はんに似てござる。でもこの人ショスタコーヴィチの息子のマクシムさん。そして右はチェロのジュリアンさん。

 やっぱりピアノの原曲もいい。我に返ってあらためて心の襞に目を向けるのも一興である。