コーヒーをどうぞ

 ここ数日コーヒーを飲まないでいるのが残念である。格別願を懸けた訳でもないし、日頃の分量だって日に精々2杯か3杯だから依存症と言うほどでもないのだが、ちょっと「刺激物」を避けましょうという状態が必要だったので不本意ながらである。代わりに薬局で求めた胃袋用の顆粒状の修復材を服用。おかげでそろそろ復調したような感じ。そうなると、ああコーヒー飲みたいぞと渇仰の念が増す。という状態で本棚を見たら、一昔も前に出張で上京した際に神田の古本屋で見つけて買った豆本がちんまりと立っているのが目に入った。寺田寅彦の『珈琲哲学序説』である。名文として名高いもので随筆集に何度も収録されている。現在珈琲断ちの身には罪な文章だが、趣深くコーヒーにまつわる自分のエピソードを語ってくれる。昭和八年に雑誌「経済往来」の二月号に発表されたと奥付にある。

 物理学者寺田寅彦博士の研究室には「好きなもの 苺珈琲花美人 懐手して宇宙見物」という歌をローマ字で書いたものが貼ってあったという。不肖私も博士の好きなものは受け継いでおります。但し、博士の超絶的甘いもの好きには同調しかねるが。何しろ黒砂糖を具にしたおにぎりに砂糖をまぶして食べたというからすごい。というよりキモチワルイ。

 その『珈琲哲学序説』によると博士がコーヒーに遭遇するのは少年時代のことだった。虚弱な寅彦少年に医者がクスリとして牛乳を飲むように薦め、それを飲みやすくするために少量のコーヒーを配合した。粉にしたコーヒーを晒木綿の小袋にほんのひと抓み入れたのを熱い牛乳の中に浸して漢方薬のように振出し絞り出すのだそうだ。「・・・とにかく此の生れて始めて味はつた珈琲の香味はすつかり田舎育ちの少年の私を心酔させてしまつた」そうである。その後、「・・・月日がめぐって三二歳の春独逸に留学する迄の間に於ける珈琲と自分との交渉に就ては殆ど此れといふ事項は記憶に残つてゐないやうである。伯林の下宿は・・・」と続いて、二年あまりのベルリン大学留学時代の思い出になる。ベルリン、スカンディナヴィア、ロシア、ロンドン、パリと各地の思い出が語られる。1909年から11年までの期間留学させたのだから当時の日本国もよく頑張ったものである。描かれたその間の雰囲気は悠々閑々そのもので「良き時代」を感じさせる。第一次世界大戦の前のことであった。

 嗜好品であるコーヒーを題材とするにあたって、この随筆に「哲学」の字を用いたのには幾分俳諧の味を感じるのだが、そのセンスは博士一流のものだ。末尾近くになって、やや居ずまいを正し、考察に入る。「酒や珈琲のやうなものは所謂禁欲主義者などの眼から見れば真に有害無益の長物かも知れない。しかし、芸術でも哲学でも宗教でも実は此等の物質とよく似た効果を人間の肉体と精神に及ぼすもののやうに見える。」と説きはじめるのであるがどこまでが真面目か分からない余裕綽綽の筆運びだ。寺田寅彦流「おもしろまじめ」の芸と名付けたい。

 写真はその豆本。掌にすっぽりと入る可愛らしい本だ。題名の魅力もあって、見てすぐに欲しくなったのだった。

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 コーヒーを飲まない代わりに、歌で「Black Coffee」。サラ・ヴォーンで1949年1月、この曲の最初の録音だそうだ。CBS盤で夏にヒットしVディスクにも使用された。他にはペギー・リーやジュリー・ロンドンエラ・フィッツジェラルドその他が歌う立派なスタンダード・ナンバーである。歌い方によってはひどく不貞腐れたようにもなるからその毒に当たらないように気をつけなければならない。歌詞は下に。

I'm feelin' mighty lonesome, haven't slept a wink;

I walk the floor from nine to four, in between I drink

Black coffee - love's a hand-me-down brew.

I'll never know a Sunday in this weekday room.

I'm talkin to the shadow one o'clock till four,

And Lord, how slow the moments go and all I do is pour

Black coffee since the blues caught my eye;

I'm hangin' out on Monday my Sunday dreams to dry.

(Bridge)

Now man is born to come a-lovin',

And a woman's born to weep and fret

To stay at home and tend her oven

And down her past regrets in coffee and cigarettes.

I'm moonin' all the mornin', moanin' all the night

And in between it's nicotine and not much heart to fight.

Black coffee - feelin' low as the ground.

It's drivin' me crazy, this waitin' for my baby

'Til he come around, 'til he come around