"Snowfall" Claude Thornhill 1941

 雪国の住人は毎日の除雪やら屋根の雪下ろしはもちろんのこと、諸々の難儀で疲れ果て、「うんざりだー、あとたくさんだー」とつい口に出してしまう。それが毎年の習いである。ところが、それでいて雪の季節が到来すると結構いそいそとなったりもするから不思議だ。もちろん降り始めでまだ腰が痛くならない内の話だけど。

 実際のところそれが毎朝ともなると恨めしくもなる。朝は普段より1時間以上は早起きして家の前の雪かき。それでまず大汗かくはめになる。いざ出勤(それも普段より早く)ともなると駐車場から車を掘り出してエンジン始動、それから屋根に積もった雪を払いフロントの氷をガリガリ落としてやっと乗り込む。その頃には窓の凍結も溶けているという運びである。発車したってのろのろの渋滞だ。職場に着くまでにはCDが何度も何度も繰り返し。とっても歌の練習になる。着いてからも今度は職場の駐車場の除雪があったりするから、これで朝飯分のカロリーはとっくに消費である。除雪ダイエットは否応なしに成功する。何しろ帰宅してからまたですからね。まるでクスリみたいに「朝夕、食前に」が毎日だ。

 車通勤でないとどうなるか。私はバスにします・・・の場合。自宅における除雪行動は共通である。問題はその次、歩道の雪を漕いで辿りついたバス停に立つ。顔を叩く吹雪に堪えて待つ。まつ毛に積もる雪。北限のサルに共感する瞬間である。バスなんか来るもんじゃありません。冷え切る体。えーい面倒だ、と決心して歩き出す。そんな時に限って脇をバスがゆったりと通過する。こっちは歩道をラッセル中。天は我を見捨てたか・・・とこの世の不条理をかみしめることになる。電車だとどうなる?考えたくもないですね。だって、車であれバスであれ徒歩であれ、これまで述べてまいりましたような苦難を乗り越えて着くのがやっと駅ですよ。着いたら「運休」ですよ遅延ですよ。遅れるったって「いつ来るか分かりません」だもの。携帯が無かったころは公衆電話の前に長蛇の列だった。もっとも職場に掛けてもまだ誰も届いてなかったりしたものだったが。

 かくして雪国の我らは毎年毎年こうした試練に耐え、やがて、辛抱強いだの粘り強いだの酒が強いだの発音が悪いだのと評されるパーソナリティを獲得していくのである。若い人はどうだか知りませんよ。連中は雪かきよりスマホだもの。人差し指でひゅんひゅんって板をこすってる。とーちゃんはシャベルでホイなのに。そしておもむろに学校まで車で送ってもらうのである。車中で登校用のお化粧にいそしむ姿も見られます。渋滞だからいつもより丁寧にできるもん。我が子のそうした様を横目で見つつ雪国の大人はますます辛抱強くなっていくのである。

 などと繰り言を書き連ねたが、なんだかんだ言っても雪が降ると心弾むところがあるのは我らの習性。なんとなく晴れがましい気分にもなるのです。だって、やっぱりきれいだものなあ。

 そうした気分を味わえる1941年Claude Thornhill作曲の「Snowfall」。まず、屈託のないドリス・デイを聴いてついでに歌詞も見てみましょう。

Snowfall...

Snowfall...

Glistening snowfall

Snowflakes falling

Winter calling

Frozen lace, every place

Down they come

Twirling, tumbling

Lightly, brightly

Lovely snowfall

Lightly, brightly

Lovely snowfall

Lovely snowfall

 そしてこれがオリジナル。Claude Thornhill Orchestra のテーマでもあった曲で、アレンジは当時のメンバーだったギル・エヴァンス。ホルンなんかも入ったバンドで繊細かつ時代を先取りしたサウンドが聴ける。ここからジェリー・マリガンマイルス・デイヴィスの音楽に橋が架かっていく。マイナーだがジャズ史上重要なバンドでした。「さよならバードランド」や「ジャズ・アネクドーツ」の著者ビル・クロウも在籍しベースを弾いていた。