年の初めは心静かに

 ブログの書き初め、と正座して墨をスリスリではないが、2014年初エントリーなので少し真面目に。なにしろ1年の計は・・・(DVDで3日も過ぎてしまった)・・・。今年は音楽のことをもっとよく知りたいものだ。そう願ったばかりというところでの一筆啓上である。

 作曲家の芥川也寸志の著書に『音楽の基礎』(岩波新書)がある。初版が1971年とあるからもう40年以上も前に出た。現在62刷と奥付にある。地味なタイトルだが、息長く信頼を得てきた本である。版元の目録では「音楽の基礎を一般向けに解説したユニークな音楽入門」と説明している。昭和46年当時の出版状況を反映して、いまどき流行りの解説本のような軽薄さは皆無だ。簡潔にして達意の文章により、実作者の立場からの思索を誠実に記し、知識というよりもむしろ音楽に関する認識の基礎を語るものとなっている。評論家や学者の文章にありがちな衒いや押しつけがましさは少しもない。そうした記述の小気味よさ、必要十分な知識の量とその選択、実に立派な入門書だと思う。特に大人にとっては得難い一冊だ。因みに、この新書は父親の書棚にあった第1刷も取っておいたのだが、古本に弱い私はページを繰る度にクシャミと涙、兎の眼。この度、目薬とともに、新規購入したのであった。

 第Ⅰ章の表題は「音楽の素材」となっている。そして、その第1項に取り上げられるのが本書を貫く主題でもある「静寂」である。はっとするではないか。本書では、類書にありがちな「音」の説明は第2項におかれる。思うに、それは音楽理論の基礎ではあっても音楽それ自体の基礎ではないのだから。音楽の成り立つ大元に「静寂」を据えるというところに作曲家芥川也寸志の面目がある。1ページ目の表題を目にし、たちまちこちらの頭は静けさを取り戻すことになるのだ。

 その第Ⅰ章から少しばかり引用すると、「音楽はまず、このような静寂を美しいと認めるところから出発するといえよう。」

 また続けて、「作曲家は自分の書いたある旋律が気に入らないとき、ただちにそれを消し去ってしまうだろう。書いた音を消し去るということは、とりも直さずふたたび静寂に戻ることであり、その行為は、もとの静寂のほうがより美しいことを、みずから認めた結果にほかならない。音楽は静寂の美に対立し、それへの対決から生まれるのであって、音楽の創造とは、静寂の美に対して、音を素材とする新たな美を目指すことのなかにある。」

 ここで語られる「対立、対決」についてはもう少し考えたいところもあるが、著者の作曲家としての姿勢、根本の音楽観を明確に示しているところに注目したい。この章はこう結ばれる。「静寂は、これらの意味において音楽の基礎である。」

 わずか3ページの中で作曲家である著者が自分の立場を率直に語るこうした文章は実に貴重だと思う。音楽を聴くという行為は、自分の中の静寂に気付いていくことでもあるのだろうか。不出来な譬えだが、内なる静寂の姿は人それぞれに違い、その姿をネガとして探し求めるのがその人の音楽だ。しかもそれはいつも同じではない。変化してやまない。人間はどこまでも複雑である。

 とはいえ、音楽は説明しきれない不思議なもの。聴く、演奏する、作る、これがなければ始まらないのだし、そこにこそ喜びと慰めもある。

 モーツァルトのディヴェルティメントニ長調、K.136

 楽譜を見ると本当にシンプル