Victor Young

 今日が誕生日のVictor Youngさん。1900年8月8日生まれだった。1956年11月10日に亡くなっている。その3ヵ月後に「80日間世界一周」でアカデミー作曲賞を受賞。セレモニーにはエリザベス・テーラーが代わりに出たという。随分遅い受賞だったが、誰が何と言おうと文句なしの映画音楽の偉い人だった。35歳の時、ビング・クロスビーに引っ張られて踏み込んだ映画音楽の世界で、20年間(短いとも言える)に350本もの作品で音楽を担当した。守備範囲がまことに広い。ウエスタン、コメディ、ホラー、シリアス・ドラマ・・・なんでもウェルカムであった。

 タイトルは知ってても作曲者まではちょっと、という具合で「え、そうだったのか」の連発なのがお恥ずかしいかぎりだが、「大砂塵」、「エデンの東」、「静かなる男」、「旅愁」、「誰がために鐘は鳴る」などの名作の数々。映画と音楽のベスト・マッチには脱帽を何度しても足りない。

 ポーランド系のユダヤ人でシカゴの生まれというから19世紀末の移民の子なのかとも思うが、その辺のことはよく分からない。父親が地方を巡回する歌劇団の歌手だったようだから音楽的な環境は身近にあって、6歳からヴァイオリンを習った。10歳の時に母親が亡くなったことからポーランドに戻り、祖母に育てられる。不幸が転じて福となり、ワルシャワ音楽院で本格的な勉強をすることになる。なんと13歳でワルシャワフィルに入団、堂々たる天才少年であった。その後ロシアでコンサートなどの活動をしているうちに第1次世界大戦勃発。どうやら荒波をくぐり抜けて、1920年アメリカに再上陸である。しかしながらコンサートもぱっとせず、ロサンゼルスやシカゴの映画館付きのオーケストラのリーダーを務めたりしていたが、トーキーの登場で、もう劇場にオーケストラは不要となった。なんだかこの辺りは、よくある映画の筋書きのようにどんどん主人公が可哀想なめぐり合わせになっていく。

 そこで考えたのが、クラシック畑からポピュラー畑への転換である。バンドのヴァイオリン奏者兼アレンジャーをやったりシカゴのラジオ曲で指揮者をやったりしてジワリジワリと名前が売れていった。そして1934年、自分のバンドを再度結成してラジオ・ショーのレギュラー・バンドとして成功していく。これもまた映画の筋書きのようではないか。さながらアメリカのジェットコースター的人生ドラマである。この頃にビング・クロスビーとの交友が始まって、映画界に進出とあいなった。それが30代前半のことなのだから、若き才能と育ち盛りの映画界の幸福な出会いである。

 さて、その映画音楽からスタンダード・ナンバーとなった数々の歌。これがなければどんなにジャズの世界がサビシイことかというほどにVictor Youngの作品は沢山。

 "Stella By Starlight"、 "Love letters"、 "When I Fall In Love"、 "My Foolish Heart"、 "Golden Earrings"etc・・・。これらみんな映画の中の歌だからたいへんなものだ。

 しかとは言えないが、この人のメロディの特色と言えるものがあるような気もする。聴いても歌ってもとても滑らかなのだ。その仕掛けは、楽譜で見ると分かりやすいのだが、記事の中に貼り込む方法が分からないのが残念。できるだけ簡単に言うと、音の動きが隣へ隣へと順に行く、フレーズの終わりは尻取りになって続いていく、メロディの段落で跳躍の動きを入れてメリハリをつけてまとめる、こんな感じだ。

 大きく動いているように見えるメロディでも実はカタマリごとに一音ずつスライドしていく、そんな作りが多いような気がする。なんといっても歌いやすいというのがいちばん。広すぎず狭すぎずの絶妙な音域設定、ほどよいパターンのリズムが伸びやかな気分にさせる、などの愛される歌の要素をしっかりと持っている。曲作りの定石と言ってもよい。しかも個性的だ。見事なものだと感心してしまう。

 と、書いているうちに日付が変わって誕生日は昨日になってしまいました。間に合わなかったです。だらだら書くのは止めよう。

 ヘンリー・マンシーニが尊敬の念を込めてアレンジした組曲。なんとゴージャスなサウンド。この人たち本当にアレンジが上手い。なにが違うんだろう・・・と考えてしまう。音符を書き過ぎていないことは間違いない。

 もうひとつ、キャロル・スローンで My Foolish Heart 。ピアノがいいなあと思ったらケニ―・バロンでした。