本はなにかと世話がやけます

 Victor Youngさんの誕生日にお祝いを申し上げた前回エントリーから、まあ、なんということでしょう3ヶ月以上も過ぎてしまったではないですか。なんの考えもなく意味もなく、ただモノグサにしていただけでありました。道草太郎め絶滅したかと思われた向きもありましょうが、まだでした。I'm still alive.てところです。

 このところ本棚の始末に余念がないのであります。つまり本の片付け。しかしこれがなかなか一筋縄ではいかない。「余念がない」とは言ってみたかっただけで、実際のところは邪念と雑念のせめぎあいになっている。要するにさっぱり捗りません。悪あがきをしております。なにしろ何十年も前に読み終えて二度と開かないのはもちろん、親父の代からの化石のようなの、新規には溜まる一方の「つんどく」にまで広がる広大な戦線なのだから。戦意を維持するのはなかなか難しく、これまでも幾度となく撤退している。しかしわが人生の行く末を思えばこれが最後の決戦となるであろうとの覚悟を新たにしたのであった。

 本棚とは空きがあるから棚なのであって、物を載せる空間を有することがその機能の本来である。しかし、みっしりと縦に並べ横に積み上げ前後二重に詰め込まれの有様では、もはや棚とは言えず壁同然。ただでさえ狭い部屋が一層の圧迫感をもって私に迫るのである。うなされそうだ。

 思い起こせば若き日に文豪碩学の書斎の写真を見て汗牛充棟の蔵書の迫力に憧れを抱いたのがはじまり。以来、本に囲まれ背表紙を眺めていればシアワセという中毒症状を呈し、でかい本棚を自作したり壁一面の本棚をしつらえたりもした。中毒の産物とはいえ、子供らが小さい頃には本棚登りで遊んでいたから役には立ったのだよ。思いもよらないところに銀紙で包んだ石ころや葉っぱの贈り物があったりして。

 というわけで、「つんどく」の攻略を図るためにもと、まずは本棚の整理にとりかかった次第である。

 さて、本をどうにかするのには種々の手段がある。まず、最も劇的な「燃やす」という手。焚書である。これは始皇帝ヒトラーかGHQの所業と同類となるからまずいだろう。燃料払底の折には不本意ながらもということはあるにしても燃える本を見るのは忍びない。次に友達に回す。これもよろしくない。たいていは迷惑である。先方も己の蔵書との一進一退のにらみ合いの最中であることが多いのだから。ならば、子供に一方的に送りつける(ただし犠牲になるのは独り者の息子が適任である。嫁に行った娘には立場の配慮が必要)。親の特権を行使して、お前もこういう本を読むのだとばかりに「ゆうパック」の箱で4キロぐらいに小分けして送っちゃう。1個600円なにがし負担で親の恩の押し売りである。これは友好的な親子関係の構築にはいささか問題があるかもしれない。一度は良いかもしれない。しかし調子にのって二度三度しかもだんだん箱が大きくなっていくとしたらどうだろうか。向こうも一応は大きななりをしている。「つんどく」のタワーが二棟か三棟は建っているやもしれず。難しいところである。これ以上嫌われるのも得策ではない。

 無難なところで古本屋を考えてみる。考えたので持ち込んでみた。一応は街の老舗の古書店である。学生の頃の錬金術の再現を目論んだのだ。しかし時代はすっかり変わっていた。これならば値打ちがあるだろうと買い取りを頼んだが「うちでは買い取りできないのだよ売れないもの」ときた。ぱらぱらとページをめくって「いい本なんだけどねえ・・・・」にはじまる古本屋業界の現状と課題と愚痴をたっぷりと聞かされて虚しく持ち帰ったのであった。往復のガソリン代で結局マイナスである。腰もいたくなった。どうかみなさんもう少し本を読んでください。できれば古本屋で買って。

 だんだん世知辛い話になってきたが、こうなればやけのやんぱち、今をときめく「ブッ*・オ*」である。資源ごみに出すよりはと行ってみた。やっぱり悲しいことになるのでした。「こちらのほうには値段がつきませんがお持ち帰りになりますか?」とのバイトのおねえさんの仰せ。(いまさら持ってかえれるかよ。未練はねえよ)と腹の中。口では「ああ、そうなんですか・・・じゃあそちらで引きとって下さい」と答え、売れた分の一冊五十円だの百円だので合計された小銭をいただき粛々と帰ることになったのである。じつに気分が悪いのですね。帰ってネットでそこいらの事情を検索してみると、まあ世の中この店への恨みつらみの多いこと涙ぐましいものがある。でも、中にズバリと禅僧の大喝のような書き込みがあった。「あんたが要らないものは誰も要らないんだよ」。なるほどどこにでも賢者はいるものだ。それでワタクシ目が覚めた。自分で惜しいと思うものはいつか誰かに読んでもらえることを希うのが当然だ、本が二度三度と活きてほしいのだ、と。

 それで今、方針を転換。処分ではなく、本の住み替え先を幾つか確保。公共のところです。それでモノを選ばなくちゃならなくて手間がかかっております。

 雨の日はあったかくして本でも読んでこっくりこっくり居眠りして、こんな曲でも聴きながら。