本棚が片付いたもんだな

 本の整理を進めてきてまずまず一段落というところとなった。見ればほぼ半減である。滞在期間およそ10年から40年を経て、本にも半減期というのが来たようだ。長らく眠っていたホコリまみれの古ツワモノ共が退役して本棚がなんとなく生き生きして見えるから面白い。本はやはり背文字が見えないといけない。かわいそうだよ。なにはともあれ残った連中、ようやく呼吸を回復したような感じとなった。しかし、つらつらと眺め、気がついてみると、見覚えはあるが中身に覚えがないというのが悲しいではないか。下手をすると同じものを二冊買っていたり。しかもそれが今分かるとは。老人力は相当前から増していたのだ。この脳のはたらきが一層進化すれば、本は一冊あればよくなるだろう。読みながら忘れていくという名人の境地である。たいそう経済的だ。

 さて、このたびの手段としては、売ったり(雀の涙)、寄付して多少は喜ばれたり(一応)、親の強権を以て送りつけたり(まだ文句は来ないからこの手はまた使える)、資源ごみに出したり(無慈悲)、息子娘らのもしかすればの「これちょーだい」に備えて寄せておいたり、あの手この手の算段である。もちろん後ろ髪引かれる思いは強い。イタマシイに決まっている。これでも本好きのはしくれ。幼少の頃より「本を跨いではいけない。バチがあたるぞ」と親の教えを受けた我が身である。そんなに怖いものならとなるべく近寄らないようにしていたが、三つ上の兄が呆れて「お前、少しは本というものを読まないと馬鹿になるぞ」と宣告された。遊び呆ける中学生の時である。バチと馬鹿ではどっちも困るが、跨がなければいいのだからとお薦めを読んでみた。以来の本との付き合いである。薬が効きすぎて、高校時代は教科書は学校に置いて鞄に本を詰めて通った。何冊もの並行読書である。そうしてたまった本と共に上京。本というものは確かにありがたい。読めばアタマの糧となり、売ればカラダの糧となる。古本屋の買い取りがリーズナブルに成立した頃がなつかしい。本棚のひとマスで何食×何人分、お銚子何本分と見当がついた学生時代であった。おかげで健康のまま帰郷しました。

 ついでながら、作家先生達も古本屋には売り買い両面でいい顧客であったようだ。売却の場合、先生たちはエライから当然業者を呼びつける。詩人にして希有な評論家安藤次男の場合、その剣客のごとき眼光と気迫に呑まれて、業者は恐ろしさのあまりつい高値を付けたものだという。また、頑固偏屈比類なきドイツ文学者高橋義孝先生、ある時ふと思い立って蔵書を大量に処分し、まことにセイセイした。その時の心境を「さながら宿便を排したようですな、ムフフ」と語ったという。内田百閒の友である。

 少しばかり感じたことだが、本を整理するというのはおそらく自分の中に積んできた何かを整理していくことでもあるのだろうか。若い時分に感心したり共鳴したりした著者でも今はもうたくさんということがある。いくつかそういうケースがあった。小説であれエッセイであれ齢を経てみると惹かれていた要素のメッキが剥げて地が見えてくる。アクのえぐみを味と思って読んでいたり、ハッタリを強さと思って読んでいたのだったり、威勢の良さが学殖の乏しさを隠すためのものだと気付かないでいたりと正体に気づけば様々である。読書にはどうしても自分本来の好みの傾向や時代思潮というものがあり、バイアスに気付かないでいることがきっとあるのだろう。でも、いよいよ持ち時間が少なくなってきているのだからゴミに当たらないように気を付けて読まねば。今は、ジャンルを問わず、よいものを書く作者を精一杯応援する気持ちである。優れたSFなども読みたいものだ。

 本を読んで頭の中がざわついたときに鎮めてくれる曲。シューベルトの歌「君こそやすらい(君はわが憩い)」をチェロで弾いたもの。シンプルにしてなおかつ美の極み。半減期というもののない音楽のひとつだ。