ジャズ イギリス シアリング

 イギリス、と申しましてもいささか広うござんすと言われそうだが、まあ目をつぶっていただきましょう。なにしろ相手は連合王国だから攻略は手に余る。この際、諸兄それぞれのイメージで「あ、はいはいイギリスね」と大らかに御納得を願います。

 そのイギリスと音楽との関わりというテーマにうっかり取りかかると、これはこれで壮大なものになるので大変。なにしろことは中世・ルネサンスにおけるイギリス音楽のヨーロッパ大陸への影響ということから始まるのだから。先へ飛んでヘンデルハイドンモーツァルトベートーヴェンへの影響なども目を着けると奥深く興味深い事柄だ。近くに来ればホルストエルガーなんかは我が国の中学生までメロディを口ずさむ。そのほか御存じビートルズローリングストーンズ、おおクラプトン様もいる。ロングランする「オペラ座の怪人」の音楽を書いたアンドリュー・ロイド・ウエバーはロンドン生まれで男爵。サラ・ブライトマンの旦那さんだ。ほんとうにね、歴史を辿ると今日までヨーロッパどころじゃなく全地球規模で音楽の世界に強い影響力を持ってきたのが分かる。そして今挙げた例だけでも見えてくる一つの特徴。それは「素知らぬ顔して先を行く」だ。もしかするとアメリカ以上に先進的。ところが意外に目立たないという地味好み、これもまた大西洋をはさんで持ち味の違いを出しているあたりが面白いところ。

 ジャズと言えばそれはあなたアメリカのもんでしょう、と言うのはもう通用しない。じわりじわりと成熟した北欧のジャズなど実に魅力的で我が国でも人気が高い。アメリカ方面はどちらかというとヴィジュアル重視で売るからミュージシャンの間では割り切りつつもくすぶる思いがあるそうだ。日本のジャズは?というと、ジャズが流れるとおしゃれなのであるらしく、ラーメン屋居酒屋寿司屋、ちょっとかっこつけるとジャズだらけである。すでにこれは環境音楽。むしろわざわざ構えて聴く人は意外に少ない。ところがファンと言うのは排他的で同好の士としか語りあわないから世の中はジャズファンばかりと思っている。または、逆にオレの高尚な好みを分かる奴はいないのかと独り憤るかのどちらかとなる。だからふと入った店で、らっさーいの怒号やラーメンずるずるの中で崇拝してやまないコルトレーンかなんかが鳴っていると愚民への怒りのあまり胡椒をかけすぎたりするのである。

 かつてのジャズが醸し出してなぜか若者に受けた気むずかしさへの偏愛はこういう一部の絶滅危惧種的正統派愛好者にしぶとく残る。60~70年代、密室で煙草の煙でいぶされながら腕組みしてスピーカーをにらんでいたあの若者たちの生き残りである。歌はビリー・ホリディしか「認めない」とかの断定が得意である。評論家の無慈悲なレビューにやたら詳しく、「ジャズと革命と」がお題目であった世界にいまだにひたっている。パネル持って国会前に集合して日当を稼ぎ年金を補っている無駄に元気な老人団を見にいくとよい。かなりそうしたガラパゴス的生物のサンプルが採集できそうである。振り返れば世界の時代風潮との相互作用の中で一部のジャズもそうした意味づけをされて象徴化してきた。ジャズにとっては成長痛のようなものであったかもしれない。

いやいや団塊の先輩方にはつい冷たい視線を注いでしまう。悪口はやめよう。今日は敬老の日だった。

さて、そこでイギリスのジャズ事情におけるユニークな一面をちょっとだけ取り上げてみる。それは「ABRSM Grade Test(英国王立音楽検定)」のジャズ部門というものである。朝岡さやかさんというピアニストがブログの中で紹介していた。2005~2011年まで自身がロンドンに住んでいる間に体験した検定試験である。

 この試験は、 エリザベス女王を総裁に持つABRSM(Associated Board of the Royal Schools of Music)という、Royal Academy of Music、Royal College of Musicなど、イギリスの主な4つの音楽院が共同で運営している団体が実施するもので、100年以上の歴史を持つ世界最大の音楽検定だという。UK全土はもちろん、世界90ヶ 国以上で、毎年62万人以上が受験しているという。日本でも申し込めるらしい。ちなみヤマハやカワイのグレードテストというのもこれを参考にしたものだという。「音検」というのもあるがそちらはどうなのか不明だ。それにしても女王の名において行われる国家的な規模の音楽検定というのがいかにもイギリスである。そう言えば思いだしたが、イギリスの音楽関係の参考書なんかを読むとさらりと「この内容はグレード○○」なんて書いてあるのだった。BBCのドキュメンタリーでもそんなこと言ってたような。なるほどこれのことだったのだと納得。

 で、そのジャズ部門というのが世界でも稀なものでグレードは5まである。内容はというと、ジャズピアノ試験は、4つのセクションがあると。

1.演奏実技:

「ブルースジャズ」「スタンダードジャズ」「コンテンポラリージャズ」の3つのスタイルからそれぞれ一曲ずつ演奏。課題曲集にある候補の中から自分で選ぶ。演奏は、普通のジャズのセッションの時のように1回目は楽譜通りテーマを演奏。その後、テーマのコード進行に沿って2・3コーラス分即興演奏。そして最後にテーマを少しアレンジして演奏し終了という流れ。

 最後のテーマは楽譜通りに弾くと原点されるという素敵な試験だ。

2. スケール&アルペジョ:

長音階短音階と半音階に加えてドリアンスケール、ミクソリディアンスケール、リディアンスケール、ペンタトニック、ブルーススケールなどなども。基本的に全調で弾けるように用意しなければいけない。♯やbの多いマニアックな調のブルーススケールも、とあるからけっこうしんどいはず。

3. Quick Study:

初見演奏に当たる部分。初めてその場で渡された楽譜を30秒位で読みその場ですぐ演奏する試験。ジャズ部門の場合は「初見演奏&即興演奏」という感じで、最初の一段は楽譜通りに演奏、2段目からは同じコードに沿って即興演奏が求められる。スタイルは、Blues、Latin Jazz、Swing Jazz、Jazz Rockのどれかがその場で指定される。過去問題集を見ながら練習するしかないという。

4. Aural Test:

口頭形式で、試験官の弾く演奏を聞いて曲のスタイルを答えたり音程を答えたり。ユニークな点は、試験官との「即興連弾セッション試験」があること。試験官とピアノの前に連弾形式で並んで座り、まずは試験官が数小節演奏をスタート、その後試験管がベースのリズムを刻み続ける中、4小節ごとに受験者と試験管が交代交代で右手部分のソロを即興演奏する。当然楽譜はなし。試験官が何調のどんなスタイルの曲を弾き始めるかも分からないため、耳と反射神経が頼りの試験。

 これはキビシイだろうな。

 検定情報は以上であります。これはなかなか厳しくもあり実際的でもありそうだ。朝岡さんが受けたのは最上位のグレード5。試験はイギリス全土で行われるのだが、会場は小学校の教室や公民館の一室で地元密着型なのが気取りが無くていい。朝岡さんの場合は近所の小さな教会だったそうだ。この「構えのなさ」というのは本当に大きな意味があり見習うべき点であると思うのだが。イギリスなんでもありがたがり、とかではなく受け止めてくれるといいけれど。

  かくしてイギリスのジャズへの敬意の表れの一端を見ることができたと思うのだが、それを最高度に体現したのがジョージ・シアリングアメリカで亡くなったけどイギリス人なのだった。1919年ロンドンの生まれ。先天盲であった。9人きょうだいの末っ子。父親の仕事は石炭の運搬、母親は夜に子供たちの世話が終わった後ホテルの掃除で家計を助ける、そういう家庭である。それでも3歳からピアノを始めたというから両親の大きな愛を感じるではないか。正規の音楽教育は盲学校での4年間のみとバイオグラフィにある。大学への奨学金受給の資格を得たが、それを断って週5ドル(公式HPによる)もらえるパブでのピアノ弾きの道を選ぶことを余儀なくされた(関係ないが、この部分 forced to ~とある。「強制」というより「仕方なく」でしょうな)。その後30年代はall blind band のメンバーであったりして、その間にレナード・フェザーに見出され1947年渡米、その後は御承知の通りで伝説的存在に。2007年6月13日にバッキンガム宮殿でエリザベス女王よりナイトに叙される。このときのインタビューの答えが「なぜ私がこんな栄誉を受けられるのかわからない。ただ自分の好きなことをやってきただけなのに」。その後も演奏活動は続くが、2011年2月14日にニューヨークで心臓病により逝去。91歳であった。

 数多くの曲を作ったが最も有名なのが「Lullaby of Birdland」。ニューヨークのジャズクラブ「バードランド」にちなんで作曲して52年に録音した。大好評ですぐに歌詞をつけて出版もされたという。バードランドはマンハッタン52丁目に50年にオープンした店でビバップの総本山とも言える名所だったが65年に惜しくも閉店。私たち日本人からすれば本場たるアメリカにおけるジャズシーンが必ずしも順風満帆ではなかったことがうかがえる。なお、このバードランドについては、ビル・クロウの「さよならバードランド」(新潮文庫)にエピソード満載で隅から隅まで面白い。

 ようやく辿りついた。では、ジョージ・シアリングで「Lullaby of Birdland」の1989年ニューポートでの演奏を。

 そして、これが1952年のオリジナル。このヴァイブラフォンやギターの入ったクインテットがユニークで絶賛を博した。

 この際ついでだ、もう一丁。1989年ニューポートのメル・トーメも登場するコンサートのフルステージ。御用とお急ぎでない方は是非お付き合いを。メル・トーメの歌が圧巻でござる。シアリングは70歳。