北の国の音楽を聴く

 あと3つ寝ると立春というのに今日は一日中摂氏零度以下という断固たる真冬日。寒いです。若い頃、とりわけ高校生というバカ真っ盛りの頃は、およそ寒いという語彙は持ち合わせず、吹雪の中をずんずん歩きほっぺたからは湯気を発し鼻からは水を放出して意気軒昂たるものであったのに。残念、とんと寒がりになってしまった。窓を開け放ち厳寒の冷気を堪能しつつ書見をする我が姿に「バカヤロ」と言い放った兄のサゲスミの眼差しも懐かしいが、あの豊富なエネルギー資源を内蔵した我が身も懐かしい。ともあれ、今となっては扉に隙間をすっと開けてはちょいちょいと部屋を出入りするネコさんに「キミ、そこを閉めてはくれまいか」とお願いするナサケナイ身となったのである。

 でも、この時期及びこの状況にあってやや沈みがち低調傾向にある心身にかなった音楽を選ぶとなれば、それはサンバ、カリプソ、ハワイアンとはいかない。心の別世界過ぎる。たしかに今やカーニバルの真っただ中というところもあるがそれは季節がちょっと違う国の話で、私どもの国柄としては豆をまいて良き春を願うたしなみ深き振る舞いが似つかわしいのであろう。したがって、共感と共鳴、魂の慰めと慰藉の糧としての音楽、これが北の国の人たる私どもの求めて止まないものとなる、と独り決めする自由をワタクシは行使する。

 北の民は北に惹かれる。南にも憧れるが北への思いはより深く宿命の色合いを帯びる。と断定したが、しかしながらこれは当然人に拠ること。同じ秋田人とはいえルーツは多様、はるか南の島々から到来したご先祖様を思わせる人もいれば、大陸系も、時に緑の瞳の少女がいたりもするこの秋田である。この世は昔から複雑なのだ。北に惹かれる我が思いはあくまでも個別の事情と弁えながら敢えて言うと御承知願いたい。人は磁石と違って、NがNに向かうこともある。

 大雑把なまとめ方ではあるが、西洋音楽は独・仏・伊辺りの言わばヨーロッパ文化の中核となった地域から、世界共通となり得る構造、技法、手法を広めていった。東西南北の国々、民族の影響の行きつ戻りつを経ながらである。特にロマン派以降近代に至って国民国家の形成と並行して音楽はむしろスタイルの標準化とも言える事態を経験した。音楽史では国民楽派などと呼ばれる、東欧北欧ロシアで顕著だった動きがそれである。これは必ずしも民族性への固着という低次元のものではなく、逆に民族の音楽性を普遍的な音楽語法の中で捉え直し再構築する試みであったとも言えるだろう。それは、民族性の昇華の試みである。それゆえに各国民の「我らの音楽」となり得たのである。「フィンランディア」などはその典型だろう。近代の音楽事情を見ると、国の成り立ちや在り方と音楽とは今の私たちが思っている以上に密着していることが分かる。そんなに気楽な浮草のようなものではないのだ。

 急に引き込み線に入ってマジメになってしまった。遺憾に思うので本線に戻ります。今聴きたい音楽の話であった。北の国の音楽がいいのだ、だって寒いから、である。北も北、北緯57~70度に及ぶ、ドラゴンの頭のような素敵な形をしたスカンディナヴィア半島のたてがみ部分、ノルウェー、王国である。ムンクの国。フィヨルド、オーロラ、サンタクロースとまさに寒い国のイメージ。でも実は海流のおかげで意外に温暖な気候だそうです。あとはよく絶賛される福祉国家、でも高負担。なにしろ人口密度17人だもんね。19歳から44歳までの1年間の徴兵制もあり。これは2015年より女性も対象となった。このあたり、おとぎ話の国ではないことがよく分かる。自主独立、国家防衛がリアルな現実なのだ。あくまでもヴァイキングの国である。

 音楽ではグリーグだけが最も有名なのだがこれはおそらく我が国の音楽教育の長年の「偏り」によるものか。教科書にはペールギュント、ピアノ協奏曲、まずこればっかりである。まるで一人しか作曲家を産み出さなかったみたいに、文化的辺境の地のイメージが残ってしまう。音楽の先生方はもっと注意深くありたいものだ。例えば、そのグリーグが「私にないものを全て持っている」と賞賛して止まなかったヨハン・スヴェンセンがいる。実は2014年1月10日のエントリーでも「音楽の泉 ノルウェー篇」と題して取り上げたことがある。2年経ってまた逢いましたねとなった。弦楽の書法の緻密さが素晴らしい。

 聴けば思うのはこの北方の音楽に流れる情念の深さである。ただ美しいのではない、悲痛なまでのしなやかさだ。それは決して燃え尽きることのない火を見守る、静かだが勁い眼差し、パッションの真髄だ。

 では、まずグリーグピアノ曲で「ノクターン」op.54 No.4。ピアノはギレリス。

 そしてスヴェンセンの「二つのスウェーデン民謡」op.27、第1番「星月夜の下で」と第2番「古い、征服されない、岩の聳える北方」。