1950年代にリバース

 なんとも迂闊な話だが、自分の生まれた昭和25年の日本はまだ米軍の占領下にあったのだと気がついた。今更ながらである。我らはオキュパイド・ジャパンに生まれたのだった。考えてみると、朝鮮戦争が始まった年なのだしサンフランシスコ平和条約は翌年の9月である。南北朝鮮の停戦協定もその後だ。子供の頃、遊んでいて米軍機が飛ぶのを見たのも当たり前のことだったのだろう。竹の棒を腰に差した下駄履きの小僧が見上げた戦闘機は、日を浴びて美しく輝いていた。

 

 何を考えるでもなくただ遊び呆けていた幼い頃、世の有様はどうだったのか。紙芝居、真空管ラジオ、電気蓄音機、父親の10吋LP、そうしたものがまとっていた時代の空気はどうだったのか。かえって今それが新鮮な興味となっている。 

 きっかけは守安祥太郎モカンボセッション。強烈な時代のエネルギーの一撃を感じた。一途さと成熟とが渦を巻いてほとばしり出ている。挑戦が創造となり新しい道となっていく。それが可能であり、また、それを必要とした時代であったのか。戦後のジャズの世界はその典型を見せているとも思える。守安とその周辺を描いた『そして、風が走り抜けて行った』が50年代へのリバースの扉を開いてくれた。一冊の読書は次の2冊へ、2が4、4が8へとまだまだ続きそうだ。まったく、こうしてはいられないではないか。